ご案内
La Pyramide
Hôtel **** Restaurant
14, boulevard Fernand Point
38200 Vienne, France
Tél : +334 74 53 01 96
Fax : +334 74 85 69 73
ピラミッド
ローヌ河に程近いヴィエンヌには、建設当時とほとんど変わらない姿を留めるローマ時代のモニュメントがあります。それは白い石材で造られた細身のピラミッドで、地元では「尖塔」と呼び習わされています。このピラミッドを載せている台座は頑丈な直方体で、四本の円柱と各側面一つずつの合計四つのアーチで構成されています。この尖塔は、2000年近くもこの地に屹立してきました。先端こそ、鉄製の鉤で削られていますが、それ以外はオリジナルのままであることが確認されています。
この尖塔は、キリスト教が支配的だった数世紀にわたって、ローマやエルサレムへ向かう巡礼たちにとっては素朴な恐怖と聖なる畏怖の的でした。というのも、巡礼たちはこの尖塔を、イエス・キリストに磔刑を宣告した、あの無関心な審判者、ポンテオ・ピラトの墓と見なしていたからです!(伝説では、ローマの属州だったパレスチナ総督を罷免され追放されたピラトは、ヴィエンヌまで来たところでローヌ河に身を投げて死んだことになっています)
磔刑を宣告した直後、宣告の責任が自分にはないことを示すために群衆を前にして手を洗って見せたという不敬な男、ポンテオ・ピラトの遺骨を求めて、ついにこのピラミッドの石を掘り起こす日が来ました・・・しかし、遺骨は発見されませんでした。このピラミッドの内部に空隙はなく、隙間なく石が組まれているだけだったのです。墓所だったことなど、絶えて一度もなかったというわけです。
現在はこの尖塔の正体が、明らかになっています。ローマ時代のヴィエンヌには、ローマやアルルと同じように、ローヌ河沿いに全長約500mにおよぶ巨大な競技場がありました。長円形をした競技場の長手方向の軸は一連の建造物で構成され、このピラミッドは、「ラ・スピナ」(現代のサーキットでのコントロールラインの役目を果たす塔)として、これをめぐって戦車競走用の長円形のトラックが設けられていたのです。また、競技場中央に聳えるこのモニュメントは、競技場の位置を遠くからでも識別できるよう、競技を観に集まる人々の目標としての機能も担っていました。
カリギュラ帝からハドリアヌス帝に至る長年の間、ローマではエジプト趣味が支配的だったため、戦車競技場のモニュメントには、しばしば巨額の費用を掛けてエジプトのオベリスクが移築されました。ネロ帝の競技場のオベリスクは、サンピエトロ大聖堂前の広場のオベリスクとして今も屹立しています。
しかしヴィエンヌでは、オベリスクの代わりに、この縮約されたピラミッドが建造されたのです。これは石造建造物の傑作といえ、各石材は極めて正確に刻まれており、セメントで間隙を埋める必要もなく、天空を目指す完璧なピラミッド型を形成しています。