1955年3月5日のフェルナン・ポワンの死によって、誰もが、全てが崩れ去るとしか思っていませんでしたが・・・
しかし、その予測は“マド・ポワン”を過小評価していたのです。気品と教養を兼ね備えた立派な奥方であり、かつポーカーフェイスの彼女は、オレンジ公ウイリアムスの金言である「持ちこたえてみせよう」を実行したのでした。
31年後、マダム・ポワンは忠実な協力者たちに看取られながら、彼女のピラミッドで静かに逝きました。彼女の養女であるマリ・ジョゼ・エマンが後継者となりましたが、一年間ほど持ちこたえはしましたが、じきにパリの不動産グループにレストランを譲り渡してしまいました。この不動産グループは、6ヶ月の調査の末、1988年3月から1989年5月までの間、改装工事のためレストランを閉鎖したのです。
この閉鎖期間中、1925年当時と同じく、建屋は徹底的に若返りが図られました。歴史が繰り返されたのです。隣のセガン家の土地を買い増し、24室のホテル、新しいレストランのホール、新しい庭園などなどが建設されました。しかし、この間にレストランは、協力者たち、レストラン・ガイドの評価、そして顧客をことごとく失いました。ゼロから再出発しなければならなかったのです。
その時から、目標は明確でした。すなわち、このレストランの偉大なる名前を再び輝かせること、ただし、時代が2000年に入ろうとしている事実を忘れることなく。
多くの高名なシェフたちが、この新しいレストラン建屋に来て指揮をとることを要請されましたが、当時は、全員がこの要請を断ったのでした。